






2011.10.07
「少し緊張しておりますので、座って話しをさせていただきます」
何本ものマイクがセッティングされたテーブルの前の椅子に、腰を下ろした。
緊張しているというのは嘘ではない。控え室を出る際も表情が強張っていたので、ジョージがさりげなくハンカチを手に握らせたくらいだ。理沙にも朝宮の緊張が伝わってきて、じんわりと汗が滲んできた。
「私が数カ月前にこの会見場でいたしました発言について、お話させていただきます。あのような発言をしたことは決して本意ではありません」
声が震えているのが分かる。
「あれは……自分の本当の気持ちをごまかすための逃げ口上でした。私は子どもを産んで育てている女性を心から尊敬していますし……」
朝宮が言い淀んだ。詰まった。俯いた。おそらく十秒もの間(ま)が空いた。ようやく顔を上げて再びマイクに向かった。
「尊敬と同時に……羨ましいと思っています」
完全に声は涙が滲んでしまっていた。
「不倫疑惑を抱かれたお相手は、産婦人科医師です。夫の友人で、親身になって私の……」
また詰まった。が、今度は十秒もかからずに口を開いた。
「……私の不妊治療に取り組んでくださっています。かつては普通に通院していたのですが、私が大臣という任務を引き受けることになった際に、先方が気を配っくださいました」
開業時間に病院を訪れると人目につく。人の口に戸は立てられない。妊娠したと誤解されるか、もしくは不妊治療を受けているとバレてしまうか、いずれにせよ、その噂話は朝宮をひどく傷つけることになる。それを心配した医師が、自宅で治療することを提案してくれたのだった。ありがたく提案を受けた朝宮は、帰宅した後、SPの目を盗んで自宅の地下駐車場から外出し、医師のマンションへと通うことになった。夫が同行したこともあるのだが、たまたまその夜は週刊誌の記者が張りついていなかったのが不運だった。そうして誤解の記事が掲載され、疑惑を抱かれ、弁明会見に至ったのだった。
その会見時の胸の内を、今、全て打ち明ける。
「私は、不妊症で悩んでいることを、他人に知られるのが嫌だったんです。隠したかったんです」
朝宮の両目に今にも零(こぼ)れ落ちそうな涙が溜まっている。
「なぜだか分かりますか?」
溜まった涙が下瞼(したまぶた)の縁(ふち)で揺れ動いている。
「妊娠できないということは……女として決定的な欠陥だと、私はずっと思ってきたからです。悔しくて恥ずかしくてたまらなかったからです」
零れ落ちた。溜めすぎていたため、大粒が立て続けに落ちた。またカメラのフラッシュが勢いよくたかれた。
理沙はその現象に、どうしようもない不条理を感じた。ひとりの女が自分の傷をさらけ出している瞬間に、そんな無神経な行動を取れるカメラマンたちがいる。しかし彼らにとっては、それが仕事だ。そしてレンズを向けられる朝宮麗子、彼女もまた、それを受け入れなければならない、そういう立場の人間だ。勝沼のように“ひとりの女”であることを優先したならば、この苦しみからは解放される。でも朝宮は、不妊症で悩む“ひとりの女”よりも、“公の人間”であることを選んだ。だから今、この無遠慮な光の渦にも必死で耐えている。
「でも……」
朝宮は、手に握っていたコットンのハンカチで頬と目元を拭った。
「隠してばかりいるのは間違いだと気づきました。恥だと思うことも間違いです」
瞳は赤く染まっているけれど、もう涙は溜まっていない。
「私と同じように苦しんでらっしゃる全国の皆さん、私たちは決して欠陥女性ではありません。不運ではあるけれど、決定打ではありません」
朝宮の瞳に、強い意思が復活した。
「女として生まれてきた悦(よろこ)びは、他にもたくさんあると思います。見つけられると思います」
朝宮の瞳に、女性議員としての光が戻った。
「私は今日このことを明らかにさせていただくことによって、再スタートしたいと思います。もちろん治療は続けます。まだ諦めません。でも、それ以外にも、自分のやれることを見つけていきます。日本の女性の代表として選んでいただけたのですから、全国の女性たちの声にもっと耳を傾け、さまざまな問題を解決していくべく、働かせていただきます」
朝宮が頭を下げた。
すると、どこかからパチパチという手を叩く音が聞こえてきた。女性レポーターのひとりが拍手をし始めたのだ。それは前後左右に連鎖していき、徐々に音が重なっていき、会場内は大きな拍手の音に包まれた。
隣を見ると、ジョージも両目を潤ませながら拍手していた。理沙もまた拍手をしながら、驚きの表情を浮かべている朝宮を見つめた。
「止めて、止めて、ここここ!」
杏子が、リモコンを操作している由美に頼んだ。由美はリモコンの一時停止ボタンを押した。
「何度観ても納得いかない。これは、どう見ても芝居よ。女優だよ、この女は」
杏子がストップされた録画映像を観ながら毒づいた。モニターには、会見で拍手を受けた際に、驚いた表情を浮かべた朝宮のアップが映っている。
「たいしたタマよね。絶対拍手が起きるって自信があったはずよ。なのに、“嘘でしょう?”みたいなウブな顔しちゃってね」
美千代も杏子に同調した。
「そうですか? 本当にびっくりしたんじゃないですか?」
カオルが朝宮の弁護側に回った。
「そうですよ、直前まで涙を流してたんですから」
由美も弁護派だ。
「あの涙だって、分かんないわよぉ」
杏子はさらに疑いをかけた。
「あら、それはないわよ。ワタクシは現場にいて、たっぷりもらい泣きしたもの。あれは演技じゃ無理。それに、いいじゃないの。会見は大成功して、朝宮さんの人気は急上昇したんだから」
ジョージが事実を語った。
「まぁね。お陰で郡津さんから大きな報酬が出て、私たちもボーナスがもらえたんだもんね」
美千代が年甲斐もなく舌を出して微笑んだ。すかさず杏子が突っ込んだ。
「それ、キモい。いい歳して可愛い子ぶらないで」
「あら、年下の彼にはウケはいいわよ」
「じゃあ、その彼の前だけにして」
二人のやり取りを笑って聞きながら、理沙は立ち上がった。バッグを肩にかけると、「じゃあ私は出かけるから。ノーリターン」と告げた。「どこ行くの?」と美千代が尋ねると、由美がすかさず、「赤坂見附で筒井さんと打ち合わせです」と返答した。
「なるほどぉ、だからノーリターンなのね」
ジョージがからかうような口調で言った。
「本当に打ち合わせするんだか、どうだか?」
杏子も皮肉な笑みを浮かべた。
「します。和歌山市の市長選挙はもう来月なのよ。民由党の桃山裕子代議士の戦略を詰めなくちゃ、間に合わなくなるでしょ」
理沙が毅然とそう答えると、意外にもカオルが返した。
「でも、終わったら二人で食事とか行くんですよね?」
もっと意外なことに、由美までが乗っかった。
「だって社長、今日は新しいスカートはいてますもん」
理沙は思わず頬が緩んでしまった。
「仕事が終われば、自由でしょ。男と食事しようがお酒呑もうが私の勝手でしょ」
「セックスしてもいいのよ」
「美千代さんは、すぐソレだから」
「あら、男とセックス、羨ましいわぁ。ワタクシも彼に電話しましょ」
「いいなぁ、私も彼氏欲しいなぁ。在日外国人合コンに行ってみようかな」
「そう言えば、上の息子の部屋にエッチな雑誌が隠してあったんですよ」
「マジで? 何歳だっけ? ウチの子もそうなっちゃうのかしら」
社員たちの止まらないお喋りを笑顔で聞きながら、理沙はオフィスを出て、エレベーターホールへと向かった。オフィスエントランスを通り過ぎる時、大きな胡蝶蘭の鉢に視線が行った。安西から贈られた開業祝いの蘭はまだ活き活きとしている。
「さすが、高いの買ってくれたのね」
蘭に向かって呟くと、エレベーターの到着を報せる音が聞こえたので、慌てて駆けていった。
赤坂見附のいつものホテルのいつものコーヒーラウンジで、筒井と打ち合わせを進めた。一時間ほどで終了する予定が、つい議論が白熱し二時間が経過していた。
「だからね、昔は男が華美に着飾っていたわけ。西欧の王様然(しか)り、江戸の殿様然りでしょ。あれは権力を誇示するためでもあるけれど、やっぱり女の気を引こうとしたわけよ。動物の雄が雌より華美なのと同じね。ライオンも孔雀も美しいのは雄でしょ」
「でも人間は変わった。今は女のほうが着飾ってるじゃないか。つまり、女が男の気を引こうと必死になってるわけだ」
「そうじゃないわよ」
「そうだ」
「そうじゃ困るのよ。そんな浅はかな魂胆でお洒落をしないでもらいたい、って言ってるの。長い長い歴史ある男社会に今やっと女たちは登場し始めたばかりなのよ。このスタート地点で誤ってはいけないのよ」
「誤らない方法を君は知っていると?」
「知ってる。……男が築き上げてきた社会で、女たちがその男たちの真似をしないことよ。男が犯してきたミスを女が繰り返してはいけない。男たちがやってこなかったことをやってこそ、女が社会で活躍する意義があるのよ」
「それで?」
「だからぁ、雄の気を引くために雌が着飾るのではダメなの。権力を誇示するために着飾るのもダメ。一生懸命生きて、その中で傷ついて、苦しんで、七転八倒して、そういう体験を積んで、それらを乗り越えた人が、素敵な服を身にまとった時、初めてお洒落なファッションになる。それを女たちがこれから証明していくのよ。つまりはね」
「素晴らしい内面を培った人こそが、素敵な服を身につけることができる。以前にも聞いた」
「そうだっけ? そう、そうなのよ。“ボロは着てても心は錦”、これは古い。“ドレスを着てて、心も錦!”それが現代女性の理想の姿よ。だからね、総理のドレスを着るに相応しい人が現れたら、私は総理のドレスを」
「食事に行こうか」
筒井が理沙の力説を遮った。
「腹が減った。メシが食いたい」
理沙はふと我に返り、窓の外を見ると、すっかり陽が暮れていた。時間を忘れて喋り続けていたことを自覚させられた。反省して筒井のほうを向き直ると、首を少し傾(かし)げて尋ねた。
「ただ、メシが食いたいだけ?」
「いや。君とメシが食いたい。君とだったら旨く感じる」
理沙は、筒井が仕事を終えてプライベートモードになったことが、嬉しくてたまらなくなった。だから、うんと顔を接近させて、茶目っけたっぷりに小声で言ってみた。
「メシの前にセックスしてもいいよ」
筒井が片眉を少し上げた。が……、
「いや。先にメシにしよう」
ポーカーフェイスは崩れなかった。
伝票を持ってレジへと向かった筒井の背中に向かって、「つまんないの、ジョーク通じないんだから」と笑いながらぼやいた。
ネオンが瞬く街を、筒井と並んで歩いた。そっと腕を絡めてみると、筒井は拒絶しなかった。無反応ではあるが、その無反応がかえって心地いい。そのほうが心が繋がれている気がする。理沙は心が温かくなるのを感じながら夜空を見上げた。
星が微かな光を放っていた。都会独特の弱い輝きの星空を眺めながら、恋人の耳元で囁いた。
「日高町の星空はね、もっともっと明るいの。広くて深いの」
「そうか」
「今度一緒に見てみない?」
一拍置いて、「そうだな」という恋人の声が理沙の耳に届いた。
初夏の夜風に理沙のスカートが揺れた。恋人に見てもらいたくて選んだ、今一番お気に入りのスカートだ。
終わり

福岡県生まれ。テレビドラマプロデューサー・作家。1987年フジテレビ入社。辣腕プロデューサーとして数々のヒットドラマを生み出す傍ら、脚本・小説・エッセイ等、執筆活動も精力的に行っている。テーマは常に「ラブ&ヒューマン」。ドラマの代表作は『ピュア』『バージンロード』『人にやさしく』『ムコ殿』『恋愛偏差値』『東京湾景』など。2007年、猿まわし芸人の村?太郎氏と電撃結婚し、世間を驚かせた。村?氏と自身の経験をもとに、被差別部落問題を真正面から描いた私小説『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舍)を08年10月に発表。他の小説作品に『おとなり婚』(ランダムハウス講談社)、『うつ恋』(ポプラ社)、『産まない女』(幻冬舎)、エッセイに『せ・き・ら・ら・ら』(講談社文庫)などがある。

